「誰も来ない」という定評(あるいは自分の中での捉え方)

私はこれに頼りきりである。

もしこれが毎日数万PVを叩き出してるようなサイトならば、こんな軽い気持ちでは、もしくは暇つぶしとして適当にスマホでポチポチと打つようなまねはしないだろう。(逆説的にいえばだからこそこのブログは1日数PVなのだ。とも言えるだろうか)

ネタは常にやってくるものでもない。私の場合もそれはまた極端になる。
よそのサイトだと1記事をそのまま打ち出してなにもせず(熟成させず、もしくは”寝かせず”に)投稿なんてことは無いだろう。先述の通り常にやってくるものでもないネタを浮かんだ瞬間からまた投稿するのである。

常にはネタが浮かばないような人間が書いた文章である。そりゃ寝かせずに、また推敲せずに投稿したところでPVは取れない。

誰も来ないからこその

さてこのブログは別にMarkdown書いてる訳ではないのでh3を使ってみる。
どーせなら”#誰も来ないからこその”と置きたかったところだが、そんな先進的なサービスだと移転するのは面倒くさいだろうから置いておく。
簡単に考えるここに掲げたお題目でのメリットとといえばまあ「気楽」だ。気負いしなくていいってこと。
某いもりんごブログのひとは記事が遅いというので有名だが(もしかしたら自分の中だけでの話かもしれない、抗議がきたら消す)、あそこは凝っている。動画編集でも作品の質は編集時間に比例する*だろう。
*持論である

お題目はなしで

下手にさっき付けたせいで付けなきゃ行けなくなった。
単純な話オチがない。
だからと言ってここで書いている時に思った、私のブログにはMarkdownモードより脚注挿入機能の方が必要ではないかと思ったことなぞ書いたらまとまりもクソも消えてしまう。

オチ

私は本書くのには向いてないかもしれない、いや一人で書くのには向いてない
ダラダラな駄文(駄の部分がダラダラ由来だったら完璧だったが)をまとめるという行為に出る。
こんな駄文書いてるだけでヒットして金が貰えたら最高だけど、そう上手くはいかないよね
これに尽きるだろうか。

今回のタイトル元ネタ:バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
*あるいはの後にかっこで持ってきたくらいしか原型が無くなっている。

#

コメント