俺には考察と言うものができない。

俺は結構まんがタイムきらら系列の漫画が好きで、雑誌はもちろん毎月買っているし単行本だって好きな作品は割と買うようにしている。

だが読み方と言うものが自分には全く足りていないと思うのだ。

例えばTwitterなどで見るような人たちはみんなストーリーを考察したりだとか、また隠された小ネタを見つけたりといったことをするような人たちが多いのだ。
対して自分はどうだろうか。ストーリーをそのまま文字通りにしか摂取できずましてや考察などもってのほかである。
前に一度、文化のレベルと言うものは介在するものの多さによって決まると言う言説を聞いたことがある。例えば生肉を食うよりは焼いた方が、そして焼いた肉を食うよりは鍋に入れて水で煮込んだほうが、といった具合である。この場合、焼くと言う行為には鉄板であったりが、煮込むと言う行為には鉄板に加えて水がと言うふうに介在するものが多くなっていった方が文化としてのレベルは上なのだと言う。

この話を自分に置き換えてみるとしよう。ストーリーをそのまま摂取するのはいわば生肉をそのまま食べる行為に他ならない。
小ネタを見つけたりだとかまた考察などをするような行為と言うものはストーリーを摂取しそれを脳内で料理する。といったことに相当するのだと思う。
やはり自分の読み方としては文化レベルが低いのであってまだまだ足りないのだと思う。またもう一つそれについて悩んでいることもあり、それは自分はその作品を本当に好きと言えるのか?と言う事についてである。ただストリーミングのように摂取をしている自分よりかは、そうやって真剣に物事を考えている人の方が立派である。
もっと問題なのはそれをやろうとしてもできないことなのであるどこがどうしたらあの思考につながるのかであったり、なぜあんな細かいところにまで気付けているのか。そういった具合のことが自分には全くわからないのである。

やはり発注する側には自分はその子のことを全て知っているような状態でなければならないと思ってしまっている身からするとストーリーを把握し、それでもって公開されていないような情報にまで考察してたどり着く。それぐらいでなければ好きと言えないのではないかと思うのである。ましてやTwitterにはそういった人は溢れているのだ。と言うよりはTwitterで見るようなきららが好きな人はほとんどがそれをしている。そんな状況では自分は好きであるそんな事は胸を張って言えないのだ。言い換えれば、いつまでも生肉を食べているような原始人ではいけないのかそういったところである。

今回はiPhoneの音声入力を使ってブログ記事を書いてみた。まあまあ精度は良いのだが同音異義語でかなりつまずいている様子が見られた。また自分の滑舌が悪いせいか間違った認識をされることもしばしばである。ただベッドの上で横たわっていてただ喋るだけで記事が書けると言うものはとても良いユーザー体験だったように思う。
今後はちょいちょい使ってみたい所でもあった。ただどうしても話し言葉にはなってしまうので(話すことによって入力をしているので)その辺の口調の違いなどは見てとれるかもしれない。

今回はここでネタバラシしてしまったもののたまに音声入力の記事を混ぜてみて、どれが音声入力であったか当ててもらうと言うものも面白いかもしれない。
そんなところで今回は以上である。どうやっても詳しくなることができない自分の苦悩についてはまた別の機会にも話すかもしれない。